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2011/05/01(日)11:42
編集後記

Mさん




今年の衆議院総選挙で、自民党が歴史的大敗をし、民主党が300議席以上の議席を獲得する結果となりました。それにより、政権が自民党から民主党に変わり、以前から掲げていた民主党の自立支援法の廃止表明が発表されました。自立支援法の1割負担が廃止されれば、私たちの生活は、今よりは少しは楽になるのではないでしょうか。今後の民主党の動きに注目したいと思います。

今回の宮精連通信では、先程も述べましたが、自立支援法を含めた法律の話題や、宮精連では初の試みとなった座談会の模様をお届けしました。また、今回も、会員の皆様からの素敵な文章も掲載することができて、当事者の方の声をお届けできたのではないか、と思います。

次回も皆様からの素敵な文章をたくさんお待ちしております。気軽に原稿をお寄せくださいね。
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2011/05/01(日)11:37
会員募集のお知らせ

Mさん




宮城精神しょうがい者団体連絡会議では、現在、会員を募集しております。
私たちの活動は、月に一度の会議で、県内各地から会員が集まり、
精神保健福祉について、議論をかわしたり、情報交換や、親睦を深め、
仲間を増やす活動を、行っております。
また、皆さんからの日頃の想いを綴った文章を、本誌、宮精連通信の発行をもって、
県内各地の同じ想いの方々へ、お届けしております。
このような活動を、私たち宮城精神しょうがい者団体連絡会議のメンバーは行っております。
2011/05/01(日)11:35
頑張らなくていいんだよ

Mさん




頑張らなくていいんだよ
踏ん張らなくていいんだよ
あなたはあなたらしく 僕は僕らしく
きっと きっと 叶うから
いつだって スタートは地面から
いつだって 花の芽も地面から
きっと きっと 育つから
きっと きっと 育つから


頑張らなくていいんだよ
踏ん張らなくていいんだよ
明日は果てしなく 未来は限りなく
きっと きっと 叶うから
いつだって 明日は続くから
いつだって 朝は来るから
きっと きっと 変わるから
きっと きっと 変わるから


頑張らなくていいんだよ
踏ん張らなくていいんだよ
捨てられた犬も 傷つけられた猫も
きっと きっと 生きるから
いつだって 今を生きるから
いつだって 今日を生きるから
きっと きっと 生きるから
きっと きっと 生きるから


頑張らなくていいんだよ
頑張らなくていいんだよ
いいんだよ
それで いいんだよ

2011/05/01(日)11:32
これって変?

Nさん




障害者基本法?

 三障害者は同一のはずなのに旅客運送法により身体と知的は割引があるのに、精神だけは割引がない!だから精神障害者は旅行にもゆけない。身体障害者は何度も東京ディズニーランドに行けるのに、精神障害者は行けない。診断書は身体と知的は一度決定すると、永久に変わらない。しかし、精神障害者は、一年。三年。五年ごとに診断書を提出しなければいけない。これは差別ではないのか?

自立支援法ってなに?

 応能負担とは収入に応じて負担することですが、サービスを受けた人が収入を超えてしまった場合、どうなるのか?医療費は5パーセントから一割に変わったので、かなりの負担増となった。年金だけの人は生活が苦しい。働くならば一割のピンハネがある。健常者にはそれがない!低所得者を苦しめることが、法律なのか?

アナタハなぜいきるのか?

 こんなに苦しいのに、死ぬこともできず、ただ水藻のように流されて行くだけなのか?

 こんな世の中を変革しようではないか!

有志を求む!賛同する者は宮城精神しょうがい者団体連絡会議まで連絡して下さい。
2011/05/01(日)11:30
音楽談義①

Wさん




 私はJAZZ大好き人間です。それも1950年代から60年代を中心にJAZZのCDを、ここ2,3年で120枚近く集めました。

 私は元々クラシックファンです。私の叔母は東京女子医専を出た内科医です。叔母はクラシックが大好きで、レコードを1000枚近く持つコレクターでした。叔母はクラシックでも、ベートーベンが大好きで、ベートーベンの作品は殆ど所持しておりました。叔母の家の応接間には立派なステレオがあり、遊びに行くとベートーベンのシンフォニー「英雄」や「運命」が流れておりました。叔母は、特に指揮者では、トスカニー二が大好きで、NBC交響楽団の演奏する、ベートーベンの交響曲全集をこよなく愛しておりました。叔母は幼い(小5)私を愛してくれて、Wちゃん、好きなレコードや本があれば聴いたり読んだりしてよいよと言って下さいました。私の音楽や読書好きの素養はこの叔母の影響かも知れません。私も20歳まではクラシック党であり、叔母同様ベートーベンが好きで、働くようになり、大枚を出して、仙台の三立楽器から、初めて買ったレコードは、当時人気のあった、ベーム指揮ベルリンフィルの、ベートーベンの交響曲全集でした。私はベートーベンの作品に共通する、人間に生き方に対して応援するような高揚感あふれる曲調が大好きです。特に愛する作品はベートーベンですと、交響曲第5番「運命」とピアノ協奏曲第5番「皇帝」です。両方とも、落ち込んだ時、出して聴くと、生きようという気持ちにさせてくれますので、愛聴しております。月並みですが、「運命」はカラヤン指揮ベルリンフィルがよいですし「皇帝」はバックハウスのピアノがよいです。私は楽聖ベートーベンの、一生を燃焼し尽くした姿が好きで、後年、JAZZの巨人と称され、僅か40歳で亡くなったジョン、コルトレーンと対比して一文を書いてみようと思った事もあります。

 そんなクラシック好きな私に衝撃を与え、一夜で、クラシックから、JAZZに転向させた曲があります。モダンJAZZでは超有名、ソニーロリンズカルテットが演奏する「モリタート」です。ロリンズの吹奏する男性的でおおらかなトーンが私にはクラシックにはない音楽スタイルと思い魅了されました。何故、「モリタート」が名曲かは、この曲は「マックザナイフ」という名でも知られ、ロリンズの吹奏で世に定着したと思います。「モリタート」は名盤「サキソホンコロサス」の中の一曲であり、JAZZファンでは誰もが持つアルバムです。私はこの名盤と、同じように愛聴する盤がコルトレーンの「バラード」です。「サキソホンコロサス」には豪快なロリンズのサックス、「バラード」では哀調さを感じさせるコルトレーンのサックス、私はこの対比が好きで、どちらもJAZZ史に残る名アルバムと思います。
2011/05/01(日)11:27
座談会 社会的入院をめぐって




Yさん:テーマは社会的入院の解消、精神障害者の地域移行にむけてというところでこれから座談会を始めたいと思います。今までも何度もこの問題については話し合いをしてきたんですけれども、じゃあ私たち患者会に何ができるのかというところで、これといって有効な方針が挙がらずに来たわけですけれども、もっと根本に戻ってですね、何故社会的入院が生まれて、坂口厚労相が7万2千人を10年間でゼロにすると宣言してからも7万5千人に増えている実態があるわけで、ぜんぜん減っていないのですね。これは先進的といわれる病院でも変わらないわけですね。ですから、「何故社会的入院者が減らないのか?」「その根本原因はどこにあるのか?」というあたりからはじめていきたいと思います。

Wさん;やはり、当然のことですが、社会的入院者本人よりも精神科病院の側に問題があるのではないのか。社会的入院者を地域移行させるなら、それなりの病院運営のやりかたが一番大事だと思うんですね。俺が入院していた30年間はほとんど惰性だったなとおもっているんです。でもそのなかで、退院をあきらめずに個人的にやっていたことが今の一人で生きてゆく地域生活につながっていると思っていますけれども。まあ、大きな病院だけでなく個人病院でもどれだけ真剣に地域移行にむけて努力してゆくのかが大切だと思いますね。だから、どこにとっかかりをもって、地域移行の取り組みをする必要性を訴えていくのが大切だと思います。

Yさん;厚労省や国の方針として「入院医療中心から地域生活中心へ」というカジのきりかえはすでにされているわけです。2004年の坂口発言で社会的入院者をゼロにするとの宣言があり、予算配分は充分でないにせよ、「地域へ!」というメッセージは国として出されているわけです。にもかかわらず、社会的入院者はむしろ増えている。これは何故なのか問われなければならないと思うのです。

Nさん;病院に逃避する人も多いんですよね。病院に逃げ込めば何とかなる、と。無気力状態の人が多いわけ。ただ飲んで食って寝てればいい。何にもしたくない。そういう人も多い。せっかく病院側で退院促進のための資料提示をしたり、催し物を計画しても参加しない人が多い。

Wさん;逃避というとそのとおりなんだけど、そういう環境を作ってきたのはやはり病院側なのではないかと思う。だから、これを何とかしない限り一歩も進まないことになる。

Nさん;でも(宮城県精神医療センターでは)、退院したらどうするとか、薬の飲み方どうするとか、通院に関してはどうするとか、については全部資料が提供されているんですよ。にもかかわらず、それを見ようともしないでほっておく人はどうなるの?

Yさん;でも、そういう風な無気力というか、自分の人生に主体性を持てなくなってしまったというのには、精神医療側の責任があるんではないですか?最初からそういう人なわけじゃなく、施設症でそうなっているんじゃないですか?長年入院するなかで、そういう無気力状態に追い込まれていくというのが現実なんじゃないかなあ。

Nさん;だけど、医者から「そろそろ退院してもいいですよ。」といわれていながら、「いや私はもう少し入院しています。」といって断る人も結構いますからね。

Yさん;だから、それは本人の責任だけではないわけですよ。長年病院で暮らしているわけですから、彼の全生活が病院の中で完結していて、病院以外で生活することが考えられなくなるという面が強いと思うんだけど。

Hさん;それから病院で生活していた方が、経済的に安上がりなんだよね。

Wさん;入院したての頃は、もう何ヶ月で退院すると思ってる人も、3年ぐらい入院してると、退院して、一人暮らして、一人で3度の食事を作ったり、日中いくところもない、経済的にも障害年金だけでは暮らせないと考えると、「もう入院してた方がいいんではないか」といわれると退院する気力もなくなって泥沼にはまっていくというか。本人の問題と病院側の問題と両方あると思いますね。

Nさん;結局、3食昼寝付が一番良いんでしょ。

Iさん;国見台病院ではね、病棟担当医が長期入院者に地域移行を促すのではなく、ほっといているのかもしれない。だからその辺を啓発して医師にもそういう気持ちになってもらわないと退院促進も進まないんじゃないかなあと。

Sさん;というかさ、病院が精神障害者を作るのね。社会的入院者を作っちゃうの。長年入院してる間に帰る家がなくなったり、なかにはおとしいれられて入院生活を送らざるを得ない人もいるのね。精神病患者じゃなくて、神経症なのに、家族や親戚に強制入院させられて挙句の果ては、その人の財産をとりあげられたりするのね。そのことで警察に電話したりしても、精神病院に入院しているからということで取り上げてもらえないわけです。そういうので社会的入院者に作られていく人もいるんです。

Iさん;それは稀なケースでしょ。

一同;稀でもないかもしれない。

Wさん;俺の仲間で、もう20年ほど入ってる奴がいるんだけど、本人は本当に出たがっているのさ。それで、援護寮に見学に行ったことがあるのさ。ところが援護寮は60歳過ぎはとらないから無理なのさ。彼は昔、良くないことをやってさ、それが入院のきっかけになっているんだけど、それで家族が帰ってきてほしくないわけさ。だから、本人がいくら出たいといっても出れない。それで本人が地域生活ができることを手紙を代筆して送ってやったんだよね。

Nさん;私、長期入院者に聞いたんだけれども、家族が「帰ってくるな!」って。世間体が悪いからって。で、親が死ぬと、兄弟が、「2度と帰ってくるな!」と拒否するケースが多いですね。

Yさん;その部分はいたしかたないから、単身でアパートなどの住居を確保して一人暮らし・自立生活をする方向に持っていくということになると思うんですけど。

Hさん;だから、社会的入院から地域に移行するのを強力にバックアップしてくれるスタッフが必要になるのよ。そういう支援体制があれば、ある程度、出てこれるのよ。でもそういう人ってなかなかいないのよ、ケースワーカーでも。親身になって本人のために考えてくれるスタッフって本当に少ないのよ。

Wさん;県でも支援員という人たちを3年前に9名置いて、最終的にはなくしてしまったけど、彼らには、そういう助けてやりたいという気持ちがあったんだよね。少人数で短期間だったけど、支援をうけて、実際に退院して援護寮に入って今は自立した生活を送っている人がいるからね。だから、社会的入院者でも退院して地域生活を送れるケースはあるんだけれども、全部が全部地域生活を送れるかといえばむずかしいと思うけど。でも、それを求めていかなければ、社会的入院解消・地域移行はできないという気がするね。それをやるのは病院側だと思うけどね。

Yさん;結局ね、なんで施設症になるまで入れておくの?という話ですよ。例えば、親が死ぬまで何で入れておくの?という話ですよ。日本の精神医療の隔離収容主義がおおもとにあるわけですよ。精神病者は何年何十年精神病院に閉じ込めておいてもいい、そしてそれに充分なベッド数も削減されずにあるわけですよ。そういう状況があって社会的入院者というのが次々生まれてくるのであって、何も社会的入院者といわれる人たちが最初から無気力で主体性がないからそうなるのではないのであって、やはり、日本の精神医療が、5年10年の長期入院を当たり前のようにやってきたという現実から来るんじゃないかと思うんです。

Hさん;だから作られてるのよ。

Sさん;作られてるの、作られてるの、社会的入院者は。

Nさん;医者は保護者の言うことを聞くんだから、「出さないでくれ」と言われれば、それまでだし。

Sさん;医療保護入院の問題点だよね。

Yさん;家族も問題ですよ、確かに。家族が嫌がるのは、精神病が社会的に差別されている病気だし、社会的に偏見もあるし、家族自身にも偏見があるからですよ。

Nさん;だから家族も本人を隔離しておきたいわけですよ。

Yさん;うん、だからそういうニーズに精神病院側も応えているという側面もあるわけですよ。でも、俺はねえ、社会的入院なんてのは一言で言って、「人権侵害」だと思うんだよね。人権の観点から言って、精神病にかかったというだけで、人間を一生閉じ込めて人生を奪っちゃうというようなことが社会的に許されていいのかと思うの。

Sさん;担当になった医師にもよるんだよね。まだ若くてね、経験のない医師に付いた当事者というのはかわいそうだよ。いろんなケースを見てきた医師とちがって、結局、家族の言うことしか聞かないからね。だから、医療保
入院させられてしまうと出られないんだもの。家族の了解が得られないから。

Wさん;私の通っている病院では、頻繁に担当医が代わるんですよ。それで特に長期入院者の人たちは、誰に自分たちの置かれている状態を伝えたらいいのか困っているみたいですよ。

Nさん・Sさん;だから、医者が、(患者の置かれている)状況をわかっていないんだもの。

Wさん;わかったと思うと、すぐ別なところに配置転換されて、患者のほうはもう相談する気力もなくなるというかね。

Sさん;最初のうちは入院させられたことに対して怒っているのよ。でもどんどん元気がなくなってきて、「オレはここに居るしかないんだ」という感じで絶望してしまうの。だから、精神病院内で鬱病になっちゃうんだよ。

Wさん;だって、正常な人でも精神病院に5年も10年もいれば、かえっておかしくなってしまいますよ。

Yさん;確実に施設症になりますよね。

Sさん;結局、家族がいない人とか、家族に相手にされない人とかが、施設症になったり、社会的入院者になったりしているんだよね。

Wさん;俺も家族に相手にされなくて、30年入院したけれども、はじめの15年は仕方がなかったと思っているんだよね。というのは、俺が悪いことをして新聞で報道されて、家族が道を歩けなくなったってことがあるから・・・。

Yさん;気持ちとしてはわかるけど、人を殺したって15年で出られるよ。ましてや渡辺さんの場合、微罪で初犯だったわけだから。その15年を娑婆で過ごしていたら、どれだけの事ができたかわからないんだし、違う人生の可能性が開けていたに違いないんだよ。10年や20年もの長期入院が当たり前になっている日本の精神医療に、僕たちは、もっと驚いていいんだと思うんだよね。こんな国は先進国中、日本しかないんだよね、こんなに漫然と長期入院させている国なんて。日本の状況は異常なんだよね。

Nさん;まあ、退院しても受け入れ先がないんだもんね。社会的に受け入れないんだもの。

Yさん;受け入れ先がなくなるというのは、逆に言えば何年も入院させるからですよね。それと家族のなかの厄介者を精神病院に捨てるという側面もあるよね。今の医療保護入院などの法制度も、それを可能にしているよね。だから、そこから社会的入院者もどんどん生み出されていくわけですよ。じゃあどうすれば良いのかと言うと、やはり最終的には、精神病院に長期入院させられている人や、社会的入院者が、自らの「権利意識」に目覚めるという事しかないのかなあとも思うんだよね。

Hさん;ただ、長く入院していると、そこまでの意識が持てなくなるのよ。

一同;う~ん。

Nさん;こうやってみんなで話してくると、結局、本人の意志の問題ということになってくるんでしょうかねえ。

Yさん;社会的入院者本人の意思がなければ退院できないというのは、それはそのとおりなんですよ。だけど、そういう個人の責任ではないんですよ。それは、彼を社会的入院者にしてしまった病院や行政や家族や社会の責任でもあるわけだから、社会の側が、施設症になり無気力になってしまった人たちに積極的に働きかけなくてはならないんですよ。そういう働きかけをもって、社会的入院者や施設症になってしまった人たちが、「社会に出て自立生活を送ろう」と思うまでにしなければならないんですよ。責任持って。
2011/05/01(日)11:12
NEWS
精神障害者の交通運賃半額を勝ち取る!
~問題点も?

Yさん




すでにご存知の方も多いでしょうが、今年6月から県内の路線バス、仙台市地下鉄の運賃が障害者手帳の提示によって半額割引になり、すでに実施されています。

これに至る経過を述べますと、2008年8月、宮精連は、宮家連などとともに宮城県バス協会を訪問し陳情を行いました。私たちは「精神障害者にも手帳への写真貼付が義務付けられ三障害統一の規格になったのに、精神障害者だけが運賃割引を受けられないのはおかしい。いままでJRやバス会社が割引を拒否してきた『精神障害者手帳には写真がなく本人確認ができない』という論理は崩れた。身体・知的障害者と同様に運賃割引を実施してほしい。」と強く訴えました。これに対しバス協会側は「責任を持って各加盟バス会社に伝えて前向きに検討する」と確約しました。それが実り、今回の決定となり実施される運びとなったわけです。

そのこと自体は私達の主張が認められ、活動の大きな成果として喜ばしいのですが、残された問題点もあります。それは、バス会社側が出してきた「長距離・高速バスを除く」とした条件です。身体・知的障害者には長距離・高速バスの割引も認められています。今回精神障害者だけ例外的に認めなかったのはなぜか?それは、JRが精神障害者への運賃割引を頑として認めていないことに起因します。各バス会社にとって長距離・高速バスはJRと競合する路線です。JRが割引しないなら、うちもしないといったセコイ結論を出したわけです。

ご存知のとおり、精神障害者の場合、通院のために長距離の交通機関を利用せざるをえず、高額の交通費負担に悩んでおられる方も多く、たいへん深刻な問題になっています。

こうした状況を変えるには、今後、バス会社だけではなく、JRに対しても精神障害者への運賃割引を大きな運動として強く求めてゆかねばなりません。皆さんの御協力をお願いします。

追伸;仙台市のふれあい乗車証については今までどおり無料でサービスが受けられます。
2011/05/01(日)10:59
活動報告
―宮精連はこんなことやっています―

Yさん




仙台市の障害者福祉施策の充実を求める要望書提出!

 8月22日(金)、宮精連は、「みやぎアピール大行動」実行委員会の一員として、仙台市への要望書を提出し、1時間30分にわたって交渉を行いました。3障害・11団体16名が参加し、市当局からは保健福祉部長以下9名が出席しました。

 以前より提出していた43項目の要望を16項目に絞り込み、来年度からの実現を求めるより具体的な要望書となっています。

 宮精連としては、「自立支援法によって倍増した通院医療費自己負担について、(他の政令市のように)仙台市独自の負担軽減策をとって欲しい」と訴えました。

 しかし市側は、「要望いただいたものを実施しようとするといくら必要か、どの施策を削らなければならないか、ということが頭をよぎる」と語り、予算措置が困難であることを強調しました。これに対して、私たちは先の梅原市長の「障害者福祉施策は優先課題」との言質をふまえて、財務当局から予算を獲得して欲しいとつめよりました。しかし、残念ながら議論は平行線のまま終了してしまいました。

 ひとの暮らしやいのちに関わる問題こそ政治や行政の最優先課題、そして責任だと私たちは考えます。今後ともあきらめることなく、仙台市や宮城県と交渉を継続してゆく考えです。

バス料金割引を宮城県バス協会に申し入れ!

 精神障害者手帳が改訂され、写真貼付が義務付けられました。しかし、他の身体・知的障害者と違ってJRやバスなどの割引制度がなされていません。このため、仙台市以外に居住する精神障害者は通院時などに多大な交通費がかかり、厳しい状況におかれています(仙台市民には「ふれあい乗車証」制度あり)。

 これまで、JRやバス会社は、写真がなく本人確認が出来ないという理由で、精神障害者手帳使用者の料金割引を拒んできました。写真貼付が義務付けられた現在、この理屈は通らないことになります。

 8月26日(火)、私たち宮精連は、宮家連のメンバーとともに、計8名で宮城県バス協会に要請行動を行いました。精神障害者への福祉政策のおくれや窮状を訴え、バス料金の割引を求める要望書を提出しました。

 これに対してバス協会側から、「要望の趣旨はよく理解した。バス協会加盟の各バス会社に通達する。」との回答を得ました。「ただ、協会としては各バス会社の経営までにはタッチできないので…。」と言葉を濁す場面もあり、ひとすじなわではいかない印象も持ちました。

 今後も継続した取り組みが必要な課題です。
2011/05/01(日)10:55
優しい人

Mさん



君は優しい人
君は僕の話を沢山聞いてくれる人
でも僕は君の話を聞かない
ごめんね こんな僕で
だから 君がピンチの時に少しでもそばに居てあげようと決めたんだ
そばにいると 君はいつだって微笑んでくれる
遠くに居ても 君はいつだって声をかけてくれる
明日も話を聞いてくれないかな
君の笑顔に明日も会いたい

君は優しい人
君は誰からも好かれる友達の多い人
でも僕に君は痛みを言わない
たぶんね そんな僕は
だから 君が嫌な人と会う時に少しでも守ってあげようと決めたんだ
そばにいても 君はいつだって暴言を言わない
ひとりでいても 君はいつだって声を殺している
明日は話を聞いてあげようかな
君の素直な声を聞きたい

君は優しい人
君は僕としばらくさよならしてしまう人
でも僕は君に涙を見せない
ごめんね 変な僕で
そして君は お別れをする時に少しでも微笑みを絶やさない様に無理するんだ
そばにいると 君は最後まで微笑んでくれる
遠くに行くと 君は最後まで手を振ってくれる
かざした手を降ろして泣いていた
君の泣顔に心も泣きたい

君は優しい人
君は優しい人
2011/05/01(日)10:53
てんかんをメジャーな病気にしたい。

Kさん



私がこの病気になったのは3歳の時、父が可愛いと言って銀杏を食べさせてくれたのが元で消化不良を起こし、仮死状態に成った、その時の事が障害として残りそれからてんかんになりました。

初めは炉端の灰をかきまわしたりの多動症でしたが、小学校の頃、釣りに行って発作を起こし川に入って行き、冷たいのでモウロウとしながら川から上がって来た思い出があります。少し深い所や流れの急な所では命も無かったのではと今になって思うとゾーとします。

病院も東北大学、宮城野原の国立仙台病院、静岡東病院『現…静岡てんかん神経医療センター』に行き
宮城に戻って来て来ました。それから色んな病院に係り、遠回りしてベーテルにたどり着きました。

ベーテル病院での初診にMRIの検査で手術の方が治るのではと言われ
平成十二年、九月頃にベーテル病院に入院しました。

検査で外科手術が出来る事が判り、平成十三年、二月三日に広南病院に転院しました。

広南病院で検査を続け、スペクトではっきりした発作の焦点が判り五月に手術して、
六月に退院しましました。それから七年位になりますが今は一日・ガバペン1200と テグレトール 500飲んでいますが発作は全然ありません。

退院してから、父が『お前、変わった、やさしくなったなぁ~』と言ってくれました。その父も私が良くなった事を知りながら、私が退院してから、20日目で心臓病で亡くなりました。銀杏を食べさせて悪く成った事を父はずーと気にしていたのですが、亡くなる前に私が良くなったのを判ってくれたので私も安心しました。

3歳の時亡くなった私ですがこれからの人生はおまけの部分です。

てんかんとは長い付き合いでしたが、この病気になった事が私の宝に成っています。

それは日本てんかん協会宮城支部の設立に関わった事も、はこべ作業所の設立に関わった事も大きな力に成っています。

てんかん協会の宮城県支部を作った時、西多賀病院のスタッフがてんかんの事を知らなかったが為に皆でてんかんの事を勉強したり、それとてんかんの情報交換の場が欲しく、日本てんかん協会宮城県支部を設立しました。

てんかんはその頃はまだ難病の中に入っていて何の福祉サービスもなかったのでマイナーの病気だったのです。今でも未だガンとか風邪とか一般の病気のようにメジャーの病気には成りきっていません。

てんかんをメジャーの病気にするのは皆が自分の病気の事を言葉に出して言って行かねば成りません。まだ、まだ数少ない人たちが啓蒙活動をしても他の障害のようではありません。てんかんの啓蒙運動にはてんかんの当事者が自分の病気の事を自分の言葉で訴えて行くのが一番と思っています。自分の病気は自分が一番、判っているのです。

ほかの病気の人よりもてんかんの人は自分の病気の事を表に出さないで理解する人は他の病気と比べて少ないのです。
それではてんかんに差別・偏見があると言いますがそんなことは言えないと思います。

また、これではいつまで経ってもこの問題は続くと思います。

自分たちの事を自分たちで言わないで、病気の事を一般の人たちは理解してくれません。

てんかんは見えない障害ですので、隠していれば判らないし、黙っていれば判らないのです。ただそれをずーとやっていれば何時まで経っても表に出られないのです。判らないから差別があるのです。
それにはコツコツと訴えて理解してもらうのが一番なのです。

また、てんかんの当事者のサポートのやり方も足りないし、その人が思うサポートが出来ていません。当事者の目線でのサポートがなされていません。

最後にてんかんと言う病気は中途半端の病気です。発作が1回少なくなったから、【少し良くなった】で終わりです。

私もそうでしたが発作が少なくなったから少し良くなったと…
てんかんの治療はキッチリとやる時はキッチリとやらないとダメで病気と向かい合ってキチンと治したいと私は思いました。
2011/05/01(日)10:48
援護寮での9ヶ月(1)

Wさん



私は平成15年の6月23日に住み慣れた富谷のS病院を退院する事になります。その前に私は鹿島台のA病院に15年間入院しておりましたので、まさに私は30年振りの社会への生還となりました。S病院を退院する10日程前に、私はケースワーカーのMさんの勧めで生地古川に創設された援護寮に体験入寮に行く事になりました。私は院内で、酔生夢死の覚悟でしたので、援護寮が古川にできた事は、新聞を読み知っておりましたが、まさか私が援護寮に体験入寮に行く事になるとは夢にも思ってみませんでした。

 体験入寮の当日、母とその後私の親代わりとなるWさんが車を運転して、私を迎えに来て下さいました。
Wさんは現在84歳になりますが、とても若々しくて、古川の駅前の行政区長を14年間務めたり、定年退職後、行政書士の資格を取り活躍するとても顔の広い方です。Wさんにはその後私が市営住宅に入居する時の保証人にもなって頂きました。Wさんの奥さん、K子さんが私の母と知り合いで、Wさんにはその関係で母の税務の仕事をやってもらっていたようです。

 私が母に何度も退院したいと病院から手紙を出したところ、母は困り、K子さんに相談したそうです。K子さんは福祉に関しても詳しく、援護寮を知っておりましたので、行ってみて、見学しながら私の事を相談してみたらと行って下さったそうです。それで母とWさんが一緒に援護寮を訪れて見学してきたそうです。

 その結果、私を入寮させたらという事になり、S病院に行き、母とWさんはS院長に相談して私の体験入寮となったようです。私は現在、Wさん宅によく遊びに行きます。その時、話すのですが、あの時Wさんご夫妻がいなかったら私は今でもS病院に入院していただろうと。その意味で、ご夫妻は私にとり大恩人と言ってよい方です。私が母に退院後聞くと、私を退院させる気持ちは当時の母は持っていなかったようです。私はWさんご夫妻のお陰でS病院から援護寮に体験入寮にいく事になりました。

 母とWさんが迎えに来てくれて私は富谷から古川の援護寮に向かいました。古川に入り、私は高層ビルの多さに目を見張りました。私は30年間も入院していた社会的入院者でしたのでこの驚きは当然かもしれません。援護寮に着き、私は担当の職員から1階にある部屋に案内されました。その後の事は詳しく打ちませんが、社会的入院者だった私にとり、援護寮での2泊3日の生活は迷いもなく快適でした。ただ入寮最後の晩に、食事作りを4人の寮生の方と一緒にやった事が印象に残ります。これは体験入寮に来ると誰にもあるようで、入寮させるかどうかの適性を判断するための、もののようでした。

 私はS病院に戻る前日に、Nさんという女性の職員から「渡辺さん、来るのを待っていますから一緒にやりましょう。」と言われました。Nさんは以前、S病院にケースワーカーとして勤めておりましたので私を良く知っている方です。Nさんのその言葉を聞き、私は帰る車の中で入寮は大丈夫と思いましたが、決定するまで果たして入寮できるかどう心配でもありました。帰院して1週間後に入寮決定の通知がありました。その2日後に私は退院となり、荷物を纏めて古川の援護寮に向かいました。

 退院した日の私は、30年間の入院生活を思い感慨もひとしおでした。援護寮での生活がどのようになるか不安もありましたが、ようやく社会に復帰できますので喜びの方が大きかったです。Wさんの運転する車で援護寮に着き、私はその後9ヶ月生活する事になる2階の207号室に荷物を運びました。母とWさんは一旦自宅に帰り、午後から私の寝る布団を運んできて下さいました。また、私は母とは別にAさんという痩身で美人の若い女性から、私のこれまで聞き取りが行われました。Aさんの傍にNさんが立って聞いておりましたので、私は安心してこれまでの総てを話す事が出来ました。私が話した後に母への聞き取りもありました。その時、母が話したのか、私の金の使用は自己管理ではなく、使う度に職員に申告することになりました。

 入寮した殆どの人が金の使用は申告する事になりますが、例外の人もおりました。後述する若いT君等です。その時は、私は羨ましかったです。現在一人暮らしするようになり、あの時の、金銭の、自己管理ではなく、申告制による厳しさが身にしみておりますので、その厳しさが今、私の生活に、役立っていると思います。

 聞き取りの終了後、私は母とWさんと一緒に銀行に出かけました。その時母が行員に対して私への暴言を吐きました。「この人は何も出来ない人ですから。」と。確かにそうかもしれませんが、私は恥ずかしさと共に、母に、何故30年も入院させておいたのだと言いたくなりました。でも私は行員の前でちゃんと預金の積み立ては出来ましたので、俺でも出来ると言う自信になりました。

 寮に戻り食事をすませて部屋に入ると、疲れたせいか私は、ばたんきゅうで、すぐ寝てしまいました。この状態が入寮後10日も続きましたので私はどうしてかと不安になりました。でも入寮後、10日を過ぎますと解消しましたので私はほっとしました。これは恐らく病院と一般社会での神経の疲労度の差ではなかったかと思います。

 1週間程、私はお客さんでしたが、その後私は寮生全員でする食事当番に参加する事になりました。食事当番は4人編成で4班に分かれてやっておりましたし、4人の中に職員が必ず一人は入り、食事作りを指導しておりました。朝食の用意は午前6時からで、夕食は午後4時半からでした。昼食は寮生各自が用意して、料理を作ったり、弁当等を頼んで食べておりました。

 私の班には前記した若いT君と、ベテランのYさん、T君と同じ若さのH君がおりました。私は、料理は上手ではなく、いつもYさんが中心になり、やっておりました。私の班は私が冗舌で互いに喋りながらやっておりましたので、他の班より活気があったかもしれません。Yさんには私がボスというあだ名をつけて難しい料理をやって頂きました。

 T君と私は気が合い、私の手が空いている時はT君を手伝い、T君の手が空いている時は私を手伝ってくれました。Yさんに私は、米とぎと炊飯器に入れる水の量を教えて頂きました。私は今でも飯炊きだけは上手ですし、私が炊いたご飯を美味いと言って食べてくれる寮生が多いので、私は私の班の飯炊きの専任となりました。H君は若いながら料理は上手でしたが、食事当番のとき休む事がありましたので、私達には不満でした。当時、T君が逞しい太い腕で、大根1本をすっていた姿が、私の記憶に強く残ります。

現在、援護寮の食事当番はなくなり、朝晩の食事は弁当になりました。ただ食事作りは残り、班編成ではなく、職員が寮生を2人ずつマンツーマンで教えております。私は食事作りのやり方が変わったと聞き、それは上手くないと思いましたが、現在は、個人的に覚えたほうが、私の一人暮らしの体験から、マンツーマンの方がよいと思うようになりました。
2011/05/01(日)10:44


Y・Nさん



このあいだ5月16日、病院へ友人と2人でいった。その日は外来がすいていていつもより30分位早く終った。薬をもらっても3時頃だった。「今日は早いから、どこかいってみよう」という話になり、山と海どっちがいいの?というので私は海と即答した。そして閖上にいってみた。ほんとうに久し振りに海へいった。立夏がすぎ、暦の上では、もう夏だったが、風は冷たく、海辺には、カフカをはじめとして、だれもいなかった。遠く仙台港からも、フェリーや貨物船が、出船していたが、それらはまるで動いていないようにみえた。私は海派、友人は山派だった。私がまだ少年の頃、あるいて5分位の所、長町市民プールがあり、夏休みには、毎日かよっていた。3時間から4時間をプールですごした。そして帰りには、お好み焼をたべてかえるというのが日課だった。そんなわけで、小学校5,6年生のころには、水泳大会でよく賞状をもらった。また、親族一同集まって、テントをかり、海でのキャンプも毎年のようにやっていた。流木をひろい、ご飲は飯ごうで、たいて、魚のおかずでよくたべた、すいか割りもたのしかった。一度ドザエモンをみて、気色悪くなり、すぐ解散ということもあった。高校時代には、毎年野蒜で、キャンプをやった。仙石線を野蒜でおりると酒屋が、あり、サッポロジャイアンツを冷しておいてくれるようにたのんで、夜は花火大会をしながらビールをのんだ。また、海岸線はよく整備された、道路があり、地元の暴走族のお兄さんが、バイクの爆音高くいったり、きたりしていた。

また大学に入ってからは、友人の車で、仙台から、気仙沼さらに、岩手県の三陸リアス式海岸を北上して、盛岡を経由して高速道路を帰ってくるというのもたのしい旅行だった。気仙沼では車を、港近くの、立体駐車場にとめて、舟でまで、渡り、バスにのって民宿のあつまっている所までいった。途中、島に1つだけの信号があり歓声があがった。民宿に荷物をあずけ、海にゆくと、仙台なんかより水はずいぶん冷たく感じられた。民宿もお婆さんで、いっぱいだった。すこし泳いで、からからの咽に流しこむビールはこの世のものとは、思えないほど美味だった。別料金で刺身をたのんだら舟盛りが出てきた。新鮮なまだ生きているウニがとくに美味だった。翌日は、亀山のリフトにのり、山頂にまでくると、360°みわたせる絶好のロケーションだった。気仙沼港は、船でいっぱいだった。11時頃、くらげがいっぱいの船着場をあとにし、大船渡、釜石、ととおり北上をつづけた。釜石なんていう所は、町のまん中に、新日鉄の溶こう炉がそびえたっていた。

三陸のリアス式海岸は、どこもすてきな海水浴場だった。宮古につくまでに、2,3か所で泳いだ。宮古で一泊し、次の日には、盛岡まで出て、高速をのんびり走りかえってきた。ずいぶん日に焼けた。たのしい旅行だった。(私はまだ発病まえだった) 病気になってからはあれだけ好きだった海にもいかず、海水浴も、プールにさえいかなくなっていた。海の潮のかおりをすっかり忘れていた。私は部屋にこもるようになり、幻聴に悩まされ、一日中寝ているようになった。心配した友人がドライブや、飲みに行こうなんてさそってくれても、調子が悪いとことわるようになり、家から出ず、新聞もTVも見ず、好きなLPをヘットホンで聴きながら、お酒をのんでいるようになった。話が暗くなったので、ここで終了。
2011/05/01(日)10:32
アピール大行動2010memo

Yさん



精神障害の分野から、3点ほど問題提起させていただきます。

①精神障害者の地域移行、社会的入院の解消について。

 入院中心から地域生活中心へといわれて久しいが、精神障害者の地域移行は全く進んでいません。

 従来、住宅やグループホームなどの受け皿つまり社会資源がないから地域移行が進まないといわれてきました。

 しかし、少なくとも仙台など都市部では社会資源は整いつつあります。

 けれども、社会的入院者は全く減っておらず、地域移行は遅々として進んでいない。

 これは、なぜか?精神病院が精神障害者をがっちり囲い込んでいるからです。経営の論理からいって空きベッドを出したくないわけです。

 現在、日本の精神科病床数は35万床で、人口比でも絶対数でもダントツの世界一です。平均在院日数が300日を越える国など世界中どこにもありません。つまり、精神障害者にとっては、日本はいまだに隔離収容主義の収容所列島なのです。

 精神障害者の地域移行、社会的入院の解消が進まないのは、地域の受け皿づくりへの不熱心さもありますが、端的にいって、国が精神病院のベッド病床数の削減をこれまで行ってこなかったからです。

今、世界では、精神病院という管理と支配と抑圧の非人間的なシステムは、過去の遺物になりつつあります。イタリアは精神病院を全廃しました。各国も精神病院をどんどん縮小しています。

国は現在まで続く隔離収容施策の誤りをはっきりと認め、精神科病床の大幅削減と地域精神医療体制の構築へと大きくかじを切らなくてはなりません。

こういう施策の大転換を可能にするには政治の力がぜひとも必要だと考えます。

私は、政権交代がなった今が最初で最後のチャンスだと思っています。先生方どうぞよろしくお願いします。

②医療観察法について

 今日の資料にこういうリーフレットを挟ませていただきました。詳しくはそれを読んでいただくとして、この法律は、池田小事件を契機として、週刊誌やメディアによる「危険な精神障害者を野放しにするな!」という差別的キャンペーンと国民的な集団ヒステリーのなかで拙速に提出された差別法です。この法の欠陥は、たとえば、精神障害者の犯罪率や再犯率が一般市民と比べて決して高くないこと、そもそも再犯予測が不可能であること、触法精神障害者への特別な精神医療など存在しないことなど散々言われてきました。この法の成立時、今日みえられている3党の皆さんは、いずれも絶対反対の姿勢を貫いていただきました。今年は医療観察法の見直しの年に当たります。是非とも、この精神障害者への差別と閉じ込めの法律を廃止してくださいますようお願いします。


③最後は自立支援医療についてです。

 精神障害は医療との関わりがとりわけ大きい障害です。自立支援法廃止までの救済措置として、応能負担への転換がはかられていますが、精神の場合、自立支援医療は、支援法施行前の2倍の自己負担のままで応益負担が続いています。これをなるべく早く応能負担にしていただけるようお願いします。

 以上、3点質問というよりはお願いになってしまったわけですが、ぜひご検討をお願いします。
2011/05/01(日)10:27
宮城県知事への要望=精神障害者から

Yさん



・60年代から現在まで続く隔離収容主義、それに伴う民間精神病院の粗製乱造を反省し、入院ではなく、地域で安心して暮らせる地域精神保健医療体制の構築へと大転換をはかってほしい。

・精神病院に漫然と収容され、人生を奪われている社会的入院者の退院促進を早急にすすめること。それには、まず第一に居宅支援が必要であり、NPOなどと連携をして、グループホームの増設や、公営住宅・民間アパートなどへの入居支援施策が必要。

・さらなる社会的入院者や長期入院者を出さないように、とりわけ民間精神病院へのコントロールを強化し、大胆に病床削減をすすめてほしい。

・精神障害者への差別や偏見を取り除くため、地域社会への啓発活動を強力にすすめて欲しい。

・仙台市以外の地域での社会資源が不足しており、地域格差が拡がっている。特に、困った時にいつでも頼れる相談機関の充実をはかってほしい。
2011/05/01(日)10:24
心のネットワークみやぎ2010講演より

「病を得ても生き抜くこと」~生きづらさの要因は何か~

Yさん



1、これから話すこと

 私たちは精神病に罹患したことで様々な社会的不利益をこうむっている。それは、症状がもたらす個人的ないし医学的不利益というより、社会制度や世間が生み出している差別や偏見などの障壁が産み出したものが多い。障害は個人ではなく社会にある。

 まず、自分の入院体験をもとに、日本精神医療が陥っている1番の問題点=隔離収容主義と「精神病院依存症」について話す。精神病になったがゆえに、精神病院に収容され、あたりまえの地域生活を送れないでいる人達が全国に34万人も存在することを地域で暮らす僕達も忘れてはいけない。

つぎに、地域で自立生活を送るうえで障害となる法制度、差別・偏見について話す。

最後に、そうした「生きにくい」環境のなかで病を抱えながらも、わたしたち精神障害者が、どうしたら少しでも良い人生を送れるか?生き抜いてゆくためのヒントについて考えてみる。

2、精神病院は必要か?(ハートインみやぎシンポのmemoをもとに)

①精神病院入院体験を語る

・3種の精神科入院の経験・・・・イ都内の私立大学付属病院精神科病棟、ロ公立単科精神病院、ハ民間精神病院。
 
イ、初診の際、何の説明も無く注射を打たれ意識を無くす。気付いたらリノリュームの床にマットレスと便器がある個室に寝かされていた(後で保護室とわかる)。訳が解からず、しばし茫然とする。注射されてから2日程経っていたらしい。しばらくして、病棟へ移る。男女混合の閉鎖病棟。若い患者が多い。明るい雰囲気。長期入院者・慢性患者と思しき人はほとんどいない。皆小奇麗な服装をしている。ただ問題なのは入院中、医師から診察を受けた記憶がまったく無い。多分本当になかったのだろう。

印象に残っているのは教授回診。まるで「白い巨塔」のパロディー。一同直立不動で教授の言葉を待つ。何かの冗談かと思う。ここでも教授に声をかけられた記憶は無い。研究対象として、自分は凡庸だったのかも?結局一ヶ月半ぐらいで寛解し退院。以降の通院や服薬の指導もなく、診断名さえ知らされず、当然病識を得ることもなかった。とにかく何もかも初めてだったので、精神科入院とは、こんなものかと思って退院する。いま考えると治療ではなく隔離収容することそのものが入院の目的だったと思える。
 
ロ、次は、一般には「良い病院」とされる公立単科の精神病院。男子閉鎖病棟へ入院。若くて体力のある急性期の患者が多数。現・元暴力団員、武道有段者、元ボクサー、元自衛隊員など気の荒い腕自慢多数。一方、看護師サイドも屈強な男性看護師ばかりをそろえている。患者同士の暴力、患者から看護師への暴力、看護師から患者への暴力それぞれあり。看護師と患者の関係は、看守と囚人の関係。患者間の窃盗・ゆすり・賭博などの横行。懲罰としての保護室の多用。(現在は男女混合病棟となり、女性看護師が増えたり、管理技術の進展などにより平和な病棟になっている)。保護室への長期収容、身内との通信面会の自由の制限、肢体拘束なども身を持って体験した。一方、開放病棟には年老いた長期入院者・社会的入院者が多数おり(全体の3分の1程度)、人生に対する諦めと無気力に支配された日々を送っている。

 とはいえ、比較的多くのコメディカルスタッフ(OTやPSW)を抱えており、退院促進や社会復帰のためのプログラムも積極的に提供している。訪問看護などの地域医療などにも力を入れていることも強調しておく。だが、退院できているのは、比較的症状が軽く予後の良い入院患者にかぎられているように思われる。

 退院後に、病状や病気による労働能力の低下ではなく、「あの有名な○○病院に入れられるような人間はうちにおいておけない」ということで、会社を馘首される。精神病院収容が社会では、差別・偏見のアイコンとなっていることと、それが労働市場からの排除をもたらすことをつくづく思い知らされた。
 
ハ、福島県で、この精神病院だけには入ってはいけないといわれていた民間精神病院に強制的に移送・入院されたことがある。小奇麗な外来ロビーをとうりぬけ、長い階段を降りると古色蒼然として小便の臭いの立ちこめた暗い木造の閉鎖病棟にたどり着く。ここにはベッドはなく、薄汚れた大小さまざまな畳部屋がいくつもある。窓には鉄格子が、当然のごとくはまっている。患者は古畳のうえに、シーツもないせんべい布団を敷き雑魚寝する。まず驚かされたのは、看護師の少なさ。30人ほどの入院者に対して常時2人しか勤務していない。それも、学校を出たばかりと思しき元ヤンキー風の青年2人だ。2人とも何故かつま先を金属で固めた安全靴を履いている。ナースステーションを覗くと一番奥に金属バットとサスマタが置いてある。彼らの勤務が終わり、夜勤の看護師と交代して、長い階段を上がっていくとき、患者全員が大声で「お疲れ様でした!」と唱和し、ふかぶかと最敬礼したことにも驚いた。やがて、消灯時間がきて、20畳ぐらいの大部屋で6人ほどの他の入院者と雑魚寝する。夜半ふと物音で目を覚ますと隣の布団からひそひそ話が聞こえる。どうやら男色に耽っているらしい。あまり良く眠れなかった。次の朝起きると各自布団をたたみ、壁際に寄せて、ほうきとちりとりで部屋を掃除する。皆病人とは思えないほどキビキビと行動する。地下にある食堂でてきぱきと朝食を済ませると、作業療法が始まる。作業療法といっても中身は院内清掃を中心とした不払い労働=使役である。自分は便所掃除を命じられた。同部屋の患者3人と亀の子たわしで力いっぱい便器を磨く。便器は綺麗になるのだが、配水管が詰まっているのか小便器の底に溜まっている小便が流れていかない。ゴム製の器具を使ってスッポン・スッポンやるのだが、なかなか流れない。やがて時間が来て作業終了。

他の入院患者たちは、廊下のモップがけや窓磨き、グラウンドの草取り、大浴場の清掃などにかり出されている。皆無言で黙々と良く働く。そのせいか、皮肉にも、他の精神病院のように運動不足でぶくぶく太った患者がほとんどおらず、みな引き締まった体型をしている。昼食時には、保護室への配膳を命じられた。保護室は硬い樫の木で作られた格子で仕切られていた。まるで時代劇に出てくる小伝馬町の牢屋だ。閉じ込められている患者が見慣れない僕に興奮し罵声を浴びせ、唾を吐きかけてくる。木格子の下の隙間から食事の盆を差し入れほうほうの態で引きあげる。

数日後、妻が面会に来ることになった。だがいっさい病棟内には入れない。例の小奇麗な外来ロビーでの面会だ。しかも監視つきだ。年のいった看護婦が目の前で聞き耳を立てている。下手なことは言えない。妻はある有力者のつてで転院の要請をしているといった。よろしくと頭を下げた。それから一週間ほどで転院が決まり、先に述べた公立精神病院に移ることができた。これは、そう昔のことではない。今から15年ほど前、1995年の日本の精神医療の現実だ。

②精神病院はなくせるか?

 以上の精神病院入院体験はどれも最悪の嫌な思い出だ。計10回の入退院を繰り返しているが、そのたびに抵抗感をおぼえ、いつまでも慣れることはない。

 僕は、精神病院はなくせない必要悪だと考えてきた。自分のような急性期に激しい症状が出る精神病者は精神病院に入院するしかないとおもってきた。人権に配慮するような、少しでも良い精神病院ができるように期待するほかないと思ってきた。ところが、90年代の半ばに、「イタリアが精神病院を廃絶する」という話を知り合いから聞いた。当時あまり情報がなかったが、トリエステの地域医療や180号法のことを聞いてこれは凄いと思ったことを今も憶えている。その後、欧米の精神保健先進国の状況なども知ることができた。どの国も精神病院への隔離収容を反省し、地域精神医療への転換を図っていた。

それに比べて日本の精神保健があまりにも遅れた畸形的ともいえる状況にあることも知った。この国は重い「精神病院依存症」に罹っているといえる。(なにせ世界の14%の精神病床三十五万床が日本に集中しているのだから)。日本の精神医療の常識は世界の非常識いまや先進国では物笑いの種だ。大熊一夫さんの「精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本」を読んで精神病院がなくても、地域精神医療の力で重い精神障害者の生活を支えられることを確信した(それもはるかに効果的に)。→{同書p113の精神病院の利用を回避したい理由を挿入}。ま
た、国連障害者権利条約でも、治療を理由とした隔離、拘束を明確に禁止している。

まず、国に今まで続けてきた隔離収容政策をハッキリと謝罪させ、地域精神医療の拡充に具体的に舵をきらせなくてはならない。もう「入院中心から地域へ」のお題目は聞き飽きた。精神病院への隔離収容が誤りだったと精神障害者に謝罪することから、地域精神医療を拡充し、精神病床を大幅削減せざるを得ないような「制度」を作っていかなければならない。

障害者制度改革推進会議の中間報告が発表された。そのなかで、私たち障害者は、もはや「施策の客体」ではなく「権利の主体」として、その社会的責任も担っていくことが宣言された。障害者運動のスローガンで言えば「私たちぬきに私たちのことを決めるな」ということだ。いくつもの厚い壁が存在することも事実だが、わたしたち当事者が積極的に発言し行動していくことが、情況を突破することにつながると信じる。

3、地域で生きるうえで障害となる法制度や差別偏見

イ、欠格条項

  皆さんは欠格条項というものがあることをご存知だろうか?精神障害者を各種免許などから除外する条項を持つ法律のことだ。精神障害者の欠格条項がいくつあるか諸説あるので分からないが、100近くはあるらしい。例えば有名なところだと→○○法、○○免許などなど。まさに「キチガイに刃物」という発想の偏見と差別のオンパレードだ。これらの欠格条項は精神障害者の職業選択の自由を大きく狭めているし、一般市民と同じように当たり前に働き生活することを困難なものにしている。

ロ、心神喪失者等医療観察法

 心神喪失者等医療観察法とは、心神喪失・耗弱の状態で傷害以上の犯罪を犯してしまった精神障害者を「再犯のおそれ」がなくなるまで無期限に特別な施設に拘禁することを可能とする法律だ。この法律は本当に問題だらけの悪法なのだが、きりがないので2点だけ問題点をあげておく。

ひとつには対象者が再び犯罪を犯すか否かの確実な予測など誰にもできないということだ。そんな根拠のない事象にもとづいて、人を長期間隔離・拘禁していいものだろうか?重大な人権侵害ではないだろうか?

もうひとつは、この法律が精神障害者=凶悪な犯罪者=社会的危険分子というイメージを人々に植え付け社会の差別・偏見を助長することだ。対象者を閉じ込める特別施設は、2重の高いフェンスに取り囲まれ、いくつもの分厚い扉で遮断された物々しいもので、わざわざ精神障害者が如何に危険な存在かを外にむかってアピールしているような代物だ。実際、「危険な精神障害者の施設を作るな!」という偏見にもとづく住民の建設反対運動も各地で起きている。この法律が運用され始めて約5年。この法律の対象となった精神障害者が14人も自殺に追い込まれていることも付け加えておきたい
 
 以上のように、わたしたち精神障害者が地域で生きていくうえで、法や制度や社会が偏見・差別・抑圧に満ち溢れており、わたしたちの社会生活を困難にする要因となっていることの一端を紹介してきた。しかし、こうした状況は、長い眼でみれば改善されていくと僕は楽観的に考えている。国連障害者権利条約が締結され、政府のもとに障害者制度改革推進会議が編成され、この仙台でも障害者差別禁止条例をつくる動きが始まっている。こうした流れをうけて遅れていたこの国の人権意識も高まっていくだろう。この後登場するACTのような精神病院というシステムに依存せず、精神障害者の地域生活をまるごとサポートする画期的な試みも始まっている。私たち精神しょうがい者の未来は、決して暗いものではない。同時に僕らの人生も決して捨てたものではないと、この頃、思えるようになった。最後に少し視点をかえて、僕らが地域で生き抜いていくためのヒントを考えてみよう。少しでも皆さんの自立生活の参考になれば幸いだ。
 

4、生き抜くためのヒント

イ、自分なりの「生きがい」を見つけること

  僕らの世代が若い頃は、「いい学校、いい会社、イコールいい人生」といわれ、特に男は、生きがいを仕事に見出すのが当たり前とされてきた。僕も30代までは精神病というハンデを背負いながらも、生きがいを感じられる仕事に就こうと散々苦労し、試行錯誤してきた。

  しかし、時代は変わった。終身雇用・年功序列はなくなり、雇用形態は極度に不安定化して、派遣やパートなどの非正規雇用が労働人口の半数を占めるようになった。万が一正社員になれたとしても、長時間のサービス残業が当たり前となり、倒れるまで働かされるのが関の山だ。どんな労働現場でも、成果主義と競争原理が貫かれ、休む暇もなく働かされる。このような労働環境の変化は、精神障害者が一般就労することを一段と難しくしている。健常者でも、このような労働環境のなかで、仕事に生きがいを見出せる人はほんの一部のラッキーな人達ではないだろうか?

考えてみれば、企業はひたすら利益を追求するためにあるのであり、社員に生きがいを与えるためにあるのではない。このことに気付いたとき、僕は仕事に生きがいを見出そうとするのはきっぱりと諦めた。そして最低限の衣食住を満たせる障害年金+αのαの分だけを稼げれば良しとした。今は週2日だけの超零細自営業を営んでいる。
けれども、人はやはり生きている限り「生きがい」というものを求めるものだ。

実際、生き抜くうえで、最低限これさえあれば大丈夫という「生きがい」さえあれば、人生は何とかなりそうな気がする。幸せなことに、僕の場合、仕事以外のことに「生きがい」をみいだすことができた。

それは、20代からこつこつ収集してきたアナログレコードでモダンジャズを聴くことだ。「なんだ趣味の話か」と言わないで欲しい。僕にとってこれは(余暇を過ごすという意味での)「趣味」以上のものだ。まず、きちんとドリップでコーヒーを淹れる。レコードを選び、裏ジャケットの演奏者名と録音年月日をちらっと確認する。ジャケットからレコードを出して、慎重にターンテーブルにのせる。レコードのほこりをクリーナーで拭き取り、針先もブラシでクリーニングする。スイッチを押してターンテーブルを手で加速をつけてまわし、狙いを定めて静かに針を落とし、アンプのボリュームを上げる。スピーカーに対座し、身を入れて音楽に没入する。この至福の時間こそまさしく僕の生きがいだと思う。最低限、この時間さえあれば生きていけると思える。

他人はどう思おうと、最低限これさえあればハッピーだと思える自分なりの生きがいを見つけ出すことを皆さんにお勧めしたい。

ロ、自分の存在を承認してくれる他者を見つけること

  人間はひとりでは生きていけない社会的な動物だ。自分以外の他者に、その存在を承          
 認し、肯定してもらえなければ、生きていくのは難しい。僕は元来、孤独を愛するたちで、一人の時間が好きだが、まったく一人ぼっちで社会的に孤立していては生きていけないだろうと思う。やはり自分をありのままに受け入れてくれる人間関係・社会関係が必要だ。僕が当事者運動や、患者会活動に取り組んでいる理由の半分は、他者と人間関係や社会関係を取り結ぶためだ。あとの半分はこの生きづらい世の中を変えるためだ。
  
自分が一人ぼっちだと思う人は、心のネットワークなり、宮精連なり患者会活動に、是非参加してみて欲しい。一口に精神障害者といっても人それぞれだけれども、皆、あなたの存在を承認し、仲間として、ありのままを受け入れてくれると思う。そういったお互いの存在を認め合う関係から、「自分は生きていていいんだ」という自己肯定感や生きる勇気が湧いてくると思う。
2011/05/01(日)10:14
仙精連報告集

Yさん



宮城精神しょうがい者団体連絡会議

 宮城県には、大小さまざまな当事者活動団体や患者会が存在し日夜活動しています。

 しかし、当事者活動団体・患者会同士の交流や連携は少なく、単会では私たち精神しょうがい者が抱える諸問題に充分に対処することは困難でした。たとえば、私たちの暮らしに直結する障害者自立支援法や心神喪失者等医療観察法について、個人的に声をあげ運動してきた有志はいても、団体総体として取り組めた当事者活動団体・患者会は残念ながらありませんでした。

 精神しょうがい者は「声なき障害者」といわれて久しいのですが、これは私たちが総じて控えめで、社会の片隅に追いやられて暮らしてきたことのあらわれです。国や地域社会やメディアも「臭いものにはフタ」的な対応をしてきたといえるでしょう。このような態度は、偏見や差別の温床です。いまこそ、私たち精神しょうがい者は勇気を振り絞って、このような状況を打破していかねばなりません。私たち自身の声を地域社会や行政に届けていかねばなりません。勿論これは一朝一夕にはできることではありません。お互いの情報や経験を持ち寄り、分かち合い、声をあげるための力をつけていかなければならないのです。

 宮城精神しょうがい者団体連絡会議には、このような問題意識を持つ県内の当事者活動団体・患者会の中心的役割を担う仲間や個人が集まりました。私たちは、約1年間の準備期間の後、2007年3月4日、仙台福祉プラザにおいて、多くの仲間の参加のもと設立総会を開催し、「もの言う患者会」として船出しました。

 設立後、真っ先に取り組んだのは、障害者自立支援法の問題でした。自立支援法は「応益負担」の名のもとに、国の財政難を障害者本人に転嫁することを目的にした法律です。これにより、医療サービスでは通院公費負担制度が廃止され自己負担額が倍増したことはご存知のとおりです。このことで、医療費がかさむデイケアを辞めざるを得なくなったり、通院治療そのものを中断する仲間たちも出てきています。また、福祉サービスでは、作業所や授産施設の利用料が上がり、工賃よりも高いというはなはだ矛盾した状況も生まれています。このため労働意欲をそがれて作業所を辞めてしまう仲間も少なくないようです。      

 私たちは2007年3月18日、自立支援法に反対する三障害合同の「アピール大行動」に参加しました。集会やパレードに延べ500人が参加したこの行動で、私たちは応益負担の廃止や自立支援法の根本的見直しを訴えました。また、この後、署名運動にも取り組み、市や県への申し入れや陳情も行ってきました。この行動は大変盛り上がり他障害の人たちとも関係性もてたことなど大きな実りとなりました。

 現在、こうした全国の障害当事者や福祉従事者の声に押されて、政府・与党は、自立支援法の見直し作業に入っていますが、決して私たちが求めるような抜本的改正ではありません。新年度も私たちは、粘り強くこの問題に取り組んでゆきたいと考えます。

 私たちは月一度の月例の会議をもっています。内容は多岐にわたりますが、見過ごせない問題は、仙台市とそれ以外の地域間格差の問題です。仙台市以外の市町村では社会資源や福祉サービスが数的にも質的にも圧倒的に足らないのです。そのため家に引きこもらざるをえない仲間が多数存在します。これは、精神しょうがい者が地域で暮らすうえで、致命的な問題です。私たちは社会資源の充実や「ふれあい乗車証」のような福祉サービスの向上などを県や他の市町村に要望していきたいと考えています。
プロフィール

○○ ○○

Author:○○ ○○


宮城精神しょうがい者団体連絡会議(宮精連)です。


私たちの団体は、
主に宮城県内で活動し、
定例の会議(討論会)を通じて、
精神の病気で大変な想いや、
体験談を語り、
社会と精神当事者を結ぶ団体です。




ブログ管理人、
○○ ○○。

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